「なおくん」と母と私

 

小学4年生位のことだったと思う。父母が別居した。その少し前から二人の仲が悪くなっていたのは薄々勘づいていた。父親のことはそこまで好きではなかったが、別居すると突然聞いた時には、驚いて泣いた記憶がある。なぜ別居することになったのか、私は知らないし今更聞いたところで意味のないことだ。

父が家を出ていき、もともと住んでいた一軒家に母と2人で暮らすようになった。記憶はあいまいだが、私は特に落ち込んだりすることなく、家でも学校でも普通におとなしく過ごしていた。新しい生活が始まるとすぐに、母は軽自動車を買った。犬を飼うか、という話も出るようになった。私が傷ついているだろうと思っていたのか、それとも父が出ていった開放感からか、母はいつもより妙に優しかった。

 

ある時、私は母と一緒に映画を見に行くことになった。今はもうないが、家から少し離れたところにあるショッピングモールに併設された映画館だった。そこで、母から一人の男の人を紹介された。「なおくん」というその男は、母親の当時の職場の同僚らしく、父より随分若く見えた。暗めの茶髪をセンター分けにした髪形、こげ茶色の革ジャン、シルバーの指輪、その全てが無理せずしっくりくるような、おしゃれな人だった。とはいえ威圧感があるわけではなく、穏やかで、笑顔が素敵で、私にも優しかった。何の映画だったのかは記憶にないが、その日は3人で映画を観た。私は「なおくん」のことを慕っていた。

その日以来、「なおくん」は度々遊びに来るようになった。彼は私に、それまで買ってもらえなかったニンテンドーDSを買ってくれた。ずっと欲しかったけれど欲しいと言い出せなかったものがあっさりと手に入って、私はとても嬉しかった。DSと一緒に『どうぶつの森』のソフトも買ってくれた。セーブデータに登録された住人は私と、母と、「なおくん」だった。

「なおくん」は映画に詳しかった。ちょうどパイレーツオブカリビアンの2作目か3作目が劇場公開されていた時期で、私はジョニー・デップに夢中になっていた。そんな私に彼は『ネバーランド』や『妹の恋人』を勧めてくれた。この映画は今でも私のお気に入りの映画である。それまで読書が趣味だった私は映画の世界にのめりこみ、DVDを借りてきては本編も特典映像も隅々まで見た。「映画に関係する仕事がしたい」と考えて、どんな人が裏方で活躍しているのか調べたり、英語の勉強をしたりした。映画に関係する仕事に就く夢は夢のまま終わってしまったけれど、今でも映画は好きだ。

 

ある時、「なおくん」と母と私で、1泊2日でUSJに行った。私は生まれも育ちも大阪だが、それまでUSJに行ったことがなかったので初めてのUSJだった。行く前にスパイダーマンジュラシックパークなど、アトラクションになっている元の映画を観て、予習して行った。今でも明確に覚えているのは、ジュラシックパークのアトラクションに乗ったときのことだ。このアトラクションでは最後にジェットコースターが水の中に飛び込むのでとても水がかかる。私はそれを想定して雨合羽を持って行っていた。そのおかげで頭はそんなに濡れずにすんだのだが、なんとお尻がびしょ濡れになってしまった。私たちが乗る一周前に乗り物にかかった水が十分に拭かれておらず、座席が濡れていたからだ。私はひどく機嫌を損ねた。彼と母親は困った様子だった。そんなこんなでUSJを満喫し、1日が終わった。パークから出た後、パークから駅までの間にあるハードロックカフェハンバーガーを食べた。「なおくん」は店内で流れているBGMについて私に色々と教えてくれた。彼はロックも好きだった。

その日は予約していた近くのホテルに泊まった。今思えばなぜ宿泊する必要があったのか不思議である。当時の私でも男女がホテルで泊まるということについてなんとなく知識はあったので、泊まった日の夜はなんだか落ち着かなかった。どこで寝れば良いのかわからず、変に気を使った覚えがある。風呂上がりのガウンを着た母親に微かに嫌悪感を覚えた。3人一部屋だったのでおそらく何も起こらなかったのだが。

1泊2日のUSJ旅行はそれなりに楽しかった。2日間かけて私は初めてのUSJを満喫した。

写真は1枚も残っていない。

 

 

「なおくん」はすっかり生活の一部に溶け込んだように思えた。しかし、いつからか、私は「なおくん」を避けるようになった。それまで私は彼を「なおくん」としか認識していなかった。母と同じ職場の、遊んでくれるお兄さんだと思っていた。彼と遊びに行く日々は確かに楽しかった。しかし、しばらく一緒にいるうちに、何とも言えない違和感を覚えた。冷静に考えて「なおくん」は母の、おそらく不倫相手なのではないかという思いが、頭をぐるぐると廻った。私が父親と3人で暮らせないのは彼のせいなのか?親子3人でいる「あたりまえ」の形を保てないのは彼のせいなのではないか?彼は私にとってどんな存在なのか?彼は、母は、何を考えているのか?

途端に彼の存在を受け付けられなくなった。母と彼がどういう関係なのか考えるともっと気持ち悪かった。USJに3人でいる姿は外から見ると親子そのものだっただろう。そういうのが、嫌になった。

 

しばらくして、「なおくん」はうちに来なくなった。

 

ある日、母親から私宛の手紙を渡された。「なおくん」からの手紙だった。内容はよく覚えていないけれど、丸っこい、優しい字で「一緒に過ごして嫌な思いをさせていたらごめんなさい。」みたいなことが書いてあった気がする。よくわからない感情が溢れてきて、私の目からは涙がこぼれた。母親も泣いていた。私が泣いたのは母が泣いていたからかもしれない。私が母の幸せを壊したのかもしれないと思うと、苦しかった。

ほどなくして父親が帰ってきて、何事も無かったようにまた一緒に暮らし始めた。別居中に父親が1人で住んでいたアパートで使っていたテレビは今でも実家で使われているし、私がいま一人暮らししているアパートにある置時計も父の使っていたものだ。両親も私も何も言わないけれど、それらを見る度にあの日々を思い出す。もう10年以上前のことだし、今になって彼は何だったのかと母親に尋ねたところでどうしようもない。もはや「なおくん」は本当に居たのか、私の妄想なのかさえ曖昧になってしまった。

 

写真も手紙も、「なおくん」が誰だったのか知る手掛かりは一つも残っていないけれど、買ってくれたDSだけは今でも手元にある。どうぶつの森のセーブデータは上書きされて、もう「なおくん」のデータはないけれど。また、モノとしての痕跡は残っていなくても、彼の記憶は私の中に刻まれている。思い出したくなくても、私が良い映画に巡り合うたびに、USJに行くたびに、レッドツェッペリンを聞くたびに、彼と過ごした日々がフラッシュバックする。

 

「なおくん」は、母は、あの時何を考えていたのだろうか。私のように今でも思い出すのだろうか。それとも、もうすっかり忘れてしまったのだろうか。あの時私があのまま彼を受け入れていたら、彼はわたしの父親として今もここにいたのだろうか。